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~第四話②~ 正体不明の女性・高蔵彩良

Author: 倉橋
last update Last Updated: 2025-07-31 20:28:18

「先生、あそこ」

 部長の草加《くさか》が、左手を指さす。屋上の手すりの近くに、スーツ姿の男性がいた。じっと夜空を見上げている。

「田辺さん」

 荒川先生が驚いたように声をかけた。彩良先生の夫の田辺成一だった。田辺は頭を下げ、天文部員たちが集まっている場所に近づいてきた。年齢は四十歳前後。自衛隊OBらしく、きびきびした動作だった。

「私の知人の田辺成一《たなべせいいち》さん。防衛大学研究所の研究員です」

 部員たちがあわてて頭を下げて挨拶する。

「今日、名古屋から帰りました。夕刊で、こちらの天文部の夜間観測が紹介されていたじゃありませんか。駅でその記事を読み、学校から許可を得てお邪魔しました」

 田辺が名古屋名物の納屋橋饅頭を差し出す。荒川先生がお礼を言って受け取る。

「ところで朝井くんはいないのですか?」

 田辺は不思議そうに首をかしげた。突然の悠馬の名前。飛鳥はハッとして、田辺の方に目を向けた。

「ええ、彼は別のクラブです」

 荒川先生はそう答えてから、部員に呼びかける。

「自分たちで観測していてくれる? 先生は田辺さんと話があるから」

 ふたりは少し離れたところで話を続ける。飛鳥はふたりの様子を、そっと見つめていた。

「そうですか? 荒川先生は朝井博士の後輩ですから、絶対天文部と思ったんですが」

「本当のこと言うと、朝井くんとは最近、会ってないんです。朝井くんに何か?」

「彼が、今年も妻の誕生日プレゼントを持ってきてくれたんです。私はずっと名古屋でしたから、母に預けていったんです。きちんとお礼をしたかったのと、妻のことで少し話を聞きたかったのです」

「朝井くんにですか?」

 荒川先生が眉をひそめた。

 飛鳥はいつの間にか、ほかの部員たちから離れ、そっと荒川先生と田辺の話に耳を澄ましていた。

「現在、防衛省でも今後の対応について協議しています。今の段階なら、あなたにお話ししても構わないと許可を得ています。実は、妻の彩良の正体が分からないんです?」

 ショッキングな説明だった。

「どういうことです?」

 荒川先生の声が思わず大きくなった。すぐにあわてた様子で周囲を見回す。

「彩良は戸籍上の人間とはまったくの別人だったんです。教員資格を持っているある女性の戸籍を、自分のものと偽っていたのです。その女性の両親はずいぶん前に亡くなり、女性自身も現在行方不明でした。彩良は行方不明の女性になりすまして小学校の教師を務め、私と結婚したのです。『彩良』という名前も、役所に届け出て改名したものでした。なりすました女性の名前をそのまま使っていて、もしその女性の知り合いにでも出会ったら別人と気がつかれるからでしょう」

 夜空の満月はじっと、屋上の天文部員や田辺、荒川先生を見守っていた。

 田辺は腕を組んだ。

「彼女は一体、誰だったのか? どうして別人になりすましていたのか?」

「どこかの国のスパイだったということは?」

「実はそういう意見が防衛省で出ています。私は、我が国の防衛体制を調査分析する立場にありましたからね」

 田辺は夜空の満月に目を向けた。

「彩良はよく月を見ていたんですよ。それはよく覚えています。何の手がかりにもなりませんが……」

 荒川先生は田辺の隣に立ち、今まで見せたことのない厳しい目で大きな満月を見つめる。

「田辺さん、発想を変えた方がよろしいかも」

「荒川先生、どういうことです?」

「捜査の対象を広げるということです」

 荒川先生は、心の中に年下の幼馴染を思い浮かべた。

(悠くん。現実を見ようね。君は利用されてたんだよ。もう少し詳しく分かったら、悠くんに教えてあげるからね)

 飛鳥といえば、誰からも見えない給水塔の陰に隠れている。

 たたった今、自分の聞いた話を、どうやって悠馬に教えようかと考えている。

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